「Twisted Steppers」。それがこの、全身をコンクリートの塊にすっぽりと嵌め込まれて、なお脈動する自身の心音を聞き続けているような冷たい熱気のパッケージの題名である。“steppers”というのはとりもなおさず踊る人々という意味だろう。収録されている総ての楽曲に共通する背骨はクラブミュージックの派生ジャンルであるベースミュージックだ。つまり元来、クラブという踊り――一般的な“ダンス”である必要はなく、音楽に対して各々がとるリアクションがすべからく含まれている――のための場に適合した音楽を祖に持っているわけだから、“steppers”という単語をこのコンピレーションが冠しているのは至極真っ当だ。問題はこの音楽で踊るアーティストたちが、もしくは踊る私たちが“twisted”なことだ。米語のスラングでいう酔っ払った状態を指しているのではないとして、ひねくれているだとか、倒錯しているという訳を当てはめるのは、一筋縄ではいかない楽曲を聴けばしっくりくる。ベースミュージックをモルモットに実験を行なったVex’dのJamie Teasdaleが「当時(2000年代初頭)のロンドンのダンス系クラブがあまりにつまらなかった」「(Planet-Muは)僕等をクレイジーな世界に導いてくれた」〔引用:
mctokyo.blogspot.com/2017/08/interview-jamie-teasdale-kuedovexd.html 〕と発言していることからも、既存の、定型化された踊れる音楽から逸脱しようとするある種のひねくれと、アヴァンギャルドな音に惹かれてしまう探求心ゆえの倒錯は確実に“twist”の源である。ここで、さらにもう一つの解釈を付け加えられるならば、“歪んだ”という訳を選びたい。歪んだ踊り手たち。蜃気楼に骨抜きにされたダンスフロアが立ち込めてくるようだ。読みは“ゆがんだ”だが、漢字に変換することによって、“ひずんだ”とも発音できる。音楽におけるひずみ。すなわちディストーションである。そして、本コンピレーションのテーマこそが、イギリスのレーベル3by3を中心に育った“ディストーション・ベース”なのだ。
そもそも“ディストーション・ベース”とは、ひろく使われている用語ではなく、本作リリース元レーベルのMurder Channelの梅ケ谷氏をはじめとした一部の愛好家のあいだで、ダブステップ(ベースミュージック)にノイズとインダストリアル、時にはメタルやハードコアなどのエッセンスを加え歪ませる手法を使って作られた音楽を指す語である。ただし、用いているのが少人数だからといって、括られる音楽性の幅は決して狭くはない。根づいているのがエクスペリメンタルミュージックに類される分野なこともあり、まっすぐな物差しではとても測れない音楽に核を見出すことでかろうじて“ディストーション・ベース”というタグを付けた、というのが個人的な印象だ。それでは、十人十色の歪みを紐解いていこう。
1曲目、がらくたの山底に蹲っていた巨大な神獣が両翼を目覚めさせたかのような緊張感を伴ってはじまるのがラトビアの電子音楽家Oyaarssの“Salvatore”。この曲には生楽器の要素はないし、トラップ・ブームによって今や多くの人の耳に馴染んでいるTR-808的なベースをがっつり歪ませて軸に据えた無慈悲な電子音楽である。鉄くずが軋み、ぶつかり合い、降り注ぐSEが形成するインダストリアルな世界観は、打ち込みのギターが生み出すうねりを伴って徐々に色をつけていく。中盤に挿入される、映画『独裁者』より引用されたチャールズ・チャップリンによる演説が、君たちは機械ではない、君たちには力がある、自由のために戦えと劇的に扇動する。彼こそまさしく救世主、“Salvatore”なのだとエピックが最高潮に達し――一転、「新たな始まりなど信じるな。さあここで終わりだ。終末なのだ」と告げる声がふってきて、歪んだ叫びとともに幕が閉じる。Oyaarssがバンドセットでの活動も行なっていることや、自身の作品の中に有機的なスクリームを取り入れていることを鑑みると、彼は身体性を否定しているとは思えない。自らが操り手でありながら、強烈なディストーションを加速するメカニゼーションの脅威として認識しているのではないか。
2曲目は国内外でDJ、プロデューサーなど多岐にわたる活躍をみせるクリエイターによる“Nowhere”。リヴァーブのかかったノイズに爪痕を残すような暴力性はなく、ホワイトノイズのような均一性もない。ビートの表面を浅く慎重に呼吸しながらゆれうごく。みずみずしく弾力のある音(氏はライブラリや自他の過去作から音を受け取って作曲することを良しとしないので何の音が使用されているかは定かではない)もまた、残響を残して現れては消える。アブストラクト・ヒップホップを好み、音響系の楽曲に定評のある彼の真骨頂のひとつを味わえる。ただし、最新アルバム「One Draw」では紙をこすり合わせるような音をはじめ、様々な環境を操ってより実験性を高めているので、この1曲で彼のスタイルを定義することは避けたい。こだまする残響はさながらしたたり落ちる雫が奏でる水音であり、スネアを抜いて中域にスペースを生ませることが多いという設計がひろがる洞窟を幻視させる。その洞窟の「うろ」の部分こそが“Nowhere”、どこでもない場所なのではないかと思う。ノイズは本来不要物だ。楽譜のなかで、歪んでとがって型にはまることが出来なくなったノイズに定められた居場所はない。そうしてどこでもない場所を揺蕩うのだ。
3曲目はTaigen Kawabeによる“Mediportion”。彼はロンドンを拠点に活動するバンド・Bo Ningenのヴォーカリスト/ベーシストとして知られるほか、Ⅲ Japonia名義でトラップ・アーティストとしてもクオリティの高い作品を生み、昨年にはEPをリリースしている。その他にもいくつものプロジェクトに並行して参加しており、興味のベクトルが多方向に向いていることが窺い知れる。そして、この曲を聴いて私の意識に浮上したのは彼が以前言及していたゲーム音楽からの影響だった。タイトルがRPGに登場する回復薬(ポーション)を思わせるのも一因かもしれない。曲中でまず耳につくきつすぎずグルーヴのあるガバキック。音色と音の絶妙な長短が、格闘ゲームの強攻撃がヒットした時に鳴るSEだとか、システム設定をいじる時の操作音を連想させるのだ。そうした音で作られる楽曲はヒャダインの“The World Warrior”のようなノリの良いものになることが多いが、“Mediportion”はスロウである。引き摺るようなノイズと、バスタブに浸かりながらそっと浴室に放つようなフロウを聴いているうちに身体から意識が引き剥がされていくような感覚に陥る。meditation(瞑想)状態になるまで、ぐいぐいと背中を押されていく。
4曲目はエレクトロニクス/ダブワイズのGorgonn、ベースのShigeru Ishihara、ヴォーカルのTaigen Kawabeの3人からなるバンドDevilmanによる“Saburoh”。Shigeru Ishiharaはシューゲイザー/エレクトロ/ロック・バンドSeefeelに2010年の再結成時よりベーシストとして加入する以前から主にチップチューンを武器に名を轟かせるDJ Scotch Eggとしてもヨーロッパを中心に広く知られ、昨年はGoooooseとのコラボレーション・アルバム「Jac」を発表している。使用している音といい曲構成といい、ここまでの曲に比べると電子音楽味が薄いので、バンドサウンドに親しんでいる向きにも耳馴染みがいいだろう。頭の芯に響く歪んだベースと切れ味の良いスネアがゴスとはまた少し違ったダークな雰囲気を映し出している。冒頭の警報音のせいか、怪獣が市街を破壊して回っている光景が目に浮かぶ。GorgonnがNapalm DeathやNeurosisを聴いていたことも影響しているのか、ハードコアとスラッジのフィーリングも感じる。
5曲目は先述したDevilmanの一員であり、韓国の伝承上の鬼の名を冠したダブパンクデュオDokkebi Qのトラックメイカーとしても活動中のGorgonnによる“Leech Off”。強烈にディストーションがかけられたベースが太い支柱となって、そのまわりをどこかアジアを思わせるエスニックな音色がおどる。例えるなら北野映画の劇伴で久石譲が散りばめているような。不穏なメロディは聴きようによっては雅やかな響きもあるのだが、とにかく焦燥感を掻き立てられる。はっきりとは所在を確認できないのにどこかで確かに何かしらの重大な不具合が起こっていて、みるみるうちに進行してゆき、ブレイクを合図に悪性の泥がドッと堰を切ってあふれ出すようだ。目玉が半回転して、歪んだキックに頭を割られたところでデッドエンドである。MVや歌詞がなくともストーリーテリングは可能なのだ。
6曲目は100madoによる“Test Dead”。97年ごろにDJとしてのキャリアをスタートさせ、ターンテーブルを用いたインプロヴィゼーション・パフォーマンスを行なう実験的プロジェクトBusRatchのメンバーとしての活動を経て2004年よりDJ百窓名義に。『ウルトラセブン』などに登場した実在の建築物を、ミステリアスでありながらも影響力をもつ存在としてダブステップに重ねて命名したのだそう。ダブステップイベントBack To Chillの立ち上げ、日本人クリエイターにフォーカスしたmixの公開で注目を浴びる。ノイジーに歪んだビートが、淡々と同じフレーズを刻み続ける電子音から主導権を奪って盛り上がりをみせていくこの曲は、線の太いイメージを受けながらも、終始理性的である。ディストーションの威を借りて、作曲者の内的ななにかが暴走してしまうことはない。DJとしての、フロアを繊細に温度調節する能力がそうさせるのだろうか。それでいて、本作のなかで一番ライヴ会場で演奏されている様子が見えてくる曲だ。
7曲目はJohn Cohenの“The Deep (Taigen Kawabe Remix)”。2010年にデビューアルバムを発表しシーンに衝撃を与えたイギリス出身の音楽家・Dead Faderが、本名のJohn Cohen名義で2013年にリリースしたアルバム「Deaf Arena」のリードトラックが原曲。JohnはBo Ningenへのリミックス提供の経験があるため、2者間には音楽を通した信頼関係が築かれているのではないかと思う。一目見て原曲と違う点は、尺が2分ほど短くなっているところ。それもそのはず、曲のスタイルが全く違うのだ。Johnのものは荘厳なオルガンの音色から始まり、タイムラインのなかで時間をかけて膨張していくノイズのブラックホールに飲み込まれてゆく構成だが、Taigenによるリミックスでは、不用意にアンプからシールドを引き抜いた時のようなサウンドがリズムを刻み、曲は早々にノイズのレイヤーに覆われる。そして切り込んでくる歪んで不明瞭になったTaigenの声。語るでもなく、歌うでもなく、訴えているのとも違う。Johnのチャンネルが混線し、Taigenのものと不規則に交じわっているようだ。既存のリミックスとは一線を画す。
8曲目はDrastik Adhesive Forceによる“ESP”。2004年より活動を開始、BPM60を中心にしたダンスミュージックを生み出すクリエイターであったが、近年ではインド〜ネパール山岳地帯のクラブシーンで生まれた新たなジャンル「ゴルジェ」の世界にも進出。日本唯一のゴルジェ専門レーベルを盛り上げつつ、サブレーベル・SLABを立ち上げる。SLABとは彼が自身の音楽を括ったジャンル名であり、詳細な定義は不明なのだが、この“ESP”もSLABと呼んでいいのかもしれない。低音を強調したトラックが構築するモノクロームの空間に閉じ込められ、けして耳障りの良いとは言えない高音が軋りながら脳を攪乱させる。平面的なサウンドというわけではなく、むしろ広がりを持っているのだが、なぜか窓のない場所、少ない物資という状況で朦朧とする頭を抱えながらデスゲームをさせられているような気持になってくる。短くフェードアウトするベース音によって、ネオンカラーの妖精がまき散らす鱗粉を視界の端で確認しながら意識のスイッチが切れる。
9曲目はふたたび登場したDevilmanによる“Deeper”。インド音楽にも通じる音使いで、非常にリチュアルな仕上がりである。冒頭で説明したとおり、本コンピレーションは踊りを連想させるタイトルを与えられているにもかかわらず、身体から魂――曖昧で月並みな単語なのであまり使いたくはないが――を連れ出そうとするかのような楽曲が多い気がしてならない。音楽に真に没入して踊りにふけっている様をトランス状態と表現したりもするので、意識や客観性が取り払われると身体性を失うというわけでもないのかもしれないが。“Deeper”においては、第一印象はリチュアルなのだが、左チャンネルから折々に侵食するノイズと、余韻を持たせず終止符が打たれるあたり、特に儀式性を意識して作られたものではないのだろう。コンセプトを作っておいて、あえてそこから逸脱する要素を落とし込んでるような感すらある。
10曲目はDead Faderの“Cheewolf”。鉄骨のようなベースだとか、他の音を塗りつぶしてしまう歪んだキックだとかはこの曲にはない。不穏さやダークな風合いもない。終盤にむかうにつれて全体にディストーションがかかってゆくのだけれど、それも特に暴力性は帯びていない。街を歩きながら再生すれば、気分が落ち込んでいればノスタルジックに、気分が上向きならばきらめいて聞こえるだろう。ムードを反映する柔軟性のあるエモーショナルさを持っている。重低音に気を取られないのと、感情移入を可能にしているのは機械的すぎない電子音のなせる業だ。インタビューでの「最近はノイズのトラックを作るのにはあまり関心がないかもしれない。きれいなメロディーの音楽を作る方に興味がある。その方が楽しいんだ」(引用:
ghz.tokyo/dead-fader-exclusive-mix-interview-for-dorohedoro-original-soundtrack/ )という発言は本心からのものだとわかる。コンピレーションの序盤で鳴らされた音に感じた不安感をきれいに拭い取って本作をまとめている。
文章を読んでいただいただけでも、ディストーションベースという、限られた界隈で使われているジャンルで括られた楽曲たちでありながら、非常に幅の広いコンピレーションだとお判りいただけたと思う。時勢柄、それぞれのバイブスを直接ぶつけあって踊れる場がないのは残念だが、家の外ではとても披露出来ないようなtwisted stepを屋内で楽しんでほしい。
清家 咲乃
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